アイドルハチ公

宿無しのハチを有名にした斉藤弘吉さん

日本犬保存会を組織している斉藤さんは、ハチが農学部まで上野博士を迎えに来ているのを時々みかけて大変立派ないい秋田犬だと思い、覚えていました。のちに渋谷で再会したときのハチは、野犬捕獲人につかまったり、小荷物室に入ったため駅員にひっぱたかれたり、顔に墨くろぐろといたずらされたり、夜の露店の親父にお客の邪魔と追われたり、あわれでした。
 
朝日新聞

斉藤さんは、なんとかハチの悲しい事情を人々に知らせて、もっといたわって貰いたいと考え、朝日新聞に寄稿したところその記事が大きく取り扱われました。

記者が片耳の垂れたハチを見て雑種と報道したので、幾度もこれを訂正させたのがまたいっそう宣伝効果を上げ、そして駅員や売店の人まで急に可愛がるようになりました。この頃からハチに公の字をつけて呼ばれるようになり、またいつの間にか忠犬と冠されるようになってしまいました。

 
忠犬ハチ公の夕 忠犬ハチ公 銅像建設基金募集の名流演芸大会

昭和9(1934)年3月10日午後5時から、神宮外苑の日本青年館でハチ公の銅像建設基金募集の夕が開かれ、3,000人の人が有名な忠犬ハチ公を一目見ようと集まりました。
 
人がいっぱい集まった!
広い青年館の1階から3階まで、若い人やおかみさん階級の大衆的ファンで超満員になりました。発起人の斉藤弘吉さん、銅像を制作した安藤照さん、吉川渋谷駅長、上野博士未亡人は大喜びです。
当のハチ公も係りの人に体をきれいにしてもらい、紅白の顎紐でおめかしして晴れ晴れとした顔で立っていました。

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