安藤照さんの名作ハチ公像 昭和8(1933)年頃、斉藤さんとかねて親しい彫塑家の安藤照さんは、ハチ公の話を聞いていたく感動し、ぜひハチ公像を作りたいといい、モデルを頼みたいと言いました。安藤さんのアトリエは代々木初台で小林さんの家と近かったので、小林さんが毎日ハチを連れて通いました。 |
木像騒ぎで銅像を生前に建立することに ハチの人気は一層高まり、駅の近所にはハチ公せんべい、ハチ公チョコレートを売り出す店が出るかと思うと、秋田県の大館ではハチ公こそ自分の家で産まれたのだという親元争いまで始まるようになりました。
中でも一番始末の悪かったのは、上野家からハチに関したいっさいを依託されたと自称する老人が現れ、美術院同人の大内青圃氏にハチ公の木像を作ってもらって駅の改札口に飾る、その資金を集めるためと称して木版画の絵はがきを作り、吉川駅長に署名させて売り出し始めました。 |
恩を忘れるな
ハチ公が有名になったとき、文部省の国定教科書の修身(現在でいう道徳)、小学2年生用の巻に「恩を忘れるな」と題して教材に選ばれました。死ぬまで渋谷駅をなつかしんで、毎日のように通っていたハチ公を、人間的に解釈すると“恩を忘れない”美談になるかもしれませんが、ハチの心を考えると、ただ自分を可愛がってくれた主人への、まじりけのない愛情だけのような気がします。
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